敏山プロフィール

 

 

 Binzan

        山 越 敏 夫

 

1956.03 埼玉県秩父市に生まれる。小学生の頃、見上げると目の前には何時も堂々とした武甲山。

      夏には、荒川で水遊び。自然の中にいて自然美をあまり意識しなかった。

1974.03 埼玉県立秩父高等学校を卒業し、東京芸術大学建築学科を受験したが、失敗。

      後2年間を新聞配達、キンカ堂百貨店の総務課の広告企画(POP業務)の手伝いをしなが

                ら人生、哲学、芸術について考えた。

1976.04 2年間の浪人生活にけじめをつけた。ある人生に対する何らかの回答を得られ、自分の生

                きてこられた理由から小さな力だけど生まれ育ったこの日本国のために感謝の気持ちを示

                したと思った。防衛省航空自衛隊第3補給処(入間基地)に入隊した。

1980        芸術活動は、余暇を利用して趣味として活動した。全自衛隊美術展絵画の部で秀作賞を受

                賞した。(「遠き武甲の峰」ふるさとの山河が町の発展と共に自然が破壊されていくこと

                が悲しく思えた。自然と人間との共生を考えた。)

2000        全自衛隊美術展絵画の部、総理大臣賞を目標に頑張ったが、再度、秀作賞に終わった。

         「新緑の富士」埼玉県小川町にある黒川三滝に妻と娘を連れて行った時のこと残雪の富士

                山が新緑の中にすがすがしく思えた。この絵画は、2000年6月以降、初勤務地の入間基地

                第3補給処処長室に展示させて頂いています。

2001.04 宮城県東松島市に所在する第4航空団に転勤。初めての単身赴任。宮城県内の松島基地で

                基地対策業務を経験した。基地周辺矢本町の皆さんとのふれ合い、伊達政宗が築いた北上

                運河、北の大宰府といわれる多賀城址、金の街道等自然と人間との関係を考えた。河北展

                に出品したが、落選。(「奥松島の流木」赴任して、矢本町から鳴瀬町をジョギングして

                いた時に砂浜に流れ着いた真っ白な重量感のある流木に共感を抱いた。)

2003.04 埼玉県所沢市に所在する防衛医科大学校に転勤。

2005.04 東京都北区に所在する航空自衛隊第1補給処東京支処に転勤。

2006    第24回上野の森美術館大賞展に出品したが、落選。「白い秋」宮城県松山町鳴瀬川河川

      敷から初秋のススキを描いた。「曼珠沙華」飯能市巾着田の彼岸花を描いた。

2008.04 鳥取県境港市に所在する航空自衛隊美保基地第3輸送航空隊に転勤。

2010.04 航空自衛隊第3補給処に勤務。平成22年度全自衛隊美術展に「後醍醐皇女大山」を出品

      した。M10号サイズを3枚繋げて大山の裾野の雄大さを表現したかった。

好きな人間像 人、物事、仕事、遊び何でも誠実に努力することが好きです。

       自分が損をしてもいい、馬鹿正直が好きです。

       馬鹿にされてもいい、自分の愚かさを見せるのが好きです。

       騙すより騙される方がいい。

制作活動   日本の風景に魅せられて、自然の中で、絵を描き続けたい。

       ある人生の節目を終了した時、絵画制作活動の本格的な始まりである。

       好きな日本の風景を見つけたい。

人生観    生を与えてくれた両親に感謝し、幸せに生きられることを感謝し、周りの人に感謝し

       ます。

       そして、人に幸せを与えたい。この世に生きた証に・・・・・・・・・・・

お気に入り  レ・ミゼラブル>小学校6年の時、国語の教科書で「一切れのパン」という小説に出

       会った。主人公ジャンバルジャンはパン1切れを盗んだことにより、何度となく脱獄

       をした。結局、19年間も牢獄に入り、刑期を終えて出てきた。ある教会に泊まった

       時、一生涯を変えるほどの出来事が起こった。

       ジャンバルジャンは、また銀の燭台を盗んだ。憲兵に連れられ、ある教会に来た。

       「この銀の燭台はあなたのものです。あなたに、差し上げたものです。」とミリエル

       司教は言った。彼は、感動した。人を思いやり、人のために何が出来るであろうか。

       その教会を後にして、ある小料理屋で働いていた可愛そうな女の子、コゼットを自分

       の娘として育てる。ジャンバルジャンがある町の町長になっていた時、街中で誰にも

       持ち上げることができないほどの重い馬車の下敷きになっていた人を助けたことか

       ら、あの教会での憲兵ジャベルに付回されることになる。この憲兵ジャベルの目から

       逃れるために、パリ市内に住居を移す。

       ここで、娘コゼットは恋をする。ジャンバルジャンはパリ自由革命の惨禍のなか、コ

       ゼットの恋人を救うことになる。やがて、ジャンバルジャンは娘の幸せを見届けて静

       かに人生を閉じるまでの物語りである。

       この作品はビクトル・ユゴーが、コルシカ島で構想を練って、11年間かけて作った

       小説です。私は人生の壁に当った時、この小説を読むと創造的な勇気が涌いてきて頑

       張れる気持ちになりました。今でも大切にこの本を愛しています。

小さな夢   生きている間に個展を開くこと。マーシャル諸島共和国で起業すること。

思いやり   人は、一人では生きられない。人に助けられ、人を傷つけながら生きていく。だか

       ら、人にやさしくすることで、自分も生きられる。自分の住む街も、この街だけでは

       繁栄発展できない。周辺の街と共に繁栄発展していく。

       街は、国家へと発展し今は世界の国々が共に繁栄発展しなければ世界の平和は維持で

       きない。

       人としての思いやりを大切にしたい。